サドとマゾのお話し・・・1
今日もちょっとお話しが書きたくて。
サディストとマゾヒストのお話しです。
歴史的な事はwikipediaに書いてるから参照してね。
あくまでも明日果の考えです。
サドって支配する事。
マゾって服従する事。
目的自体はこれで間違ってないと思うの。
後は方法論なんだけど、
サドマゾって最終的には心理的安全性を求める行為だと思ってるのね。
サドは支配する事によって自分の存在価値を確認する。
マゾは服従する事によって自分の存在価値を確認する。
つまり、自分を受け入れてくれるお互い求めてると言う事だと思うの。
ただ、強権的に(例えば単純に叩くとか)行う事もSMと言えなくもないよね。
それがDVに繋がる事と言えど、
叩く方はこれだけ叩いても許してくれると言う事で、
叩かれる方は、私が受けれいれなきゃこの人には何もない。
と思ってしまう事。
これって似てる非なるものだと考えるのね。
一般的にやってる事は似てるけど。
ここで反論が出るだろうけど、
普通の人にムチで打つ行為と、DVの行為は見分けつかないわ。
でもね。
共依存と相互依存と言う点では明確に違いが出てくると思うのね。
共依存と言うのはお互いがもたれ合わないと立っていられない。
つまりはDVはこれに当たるわ。
相互依存と言うのは自分が出来ない事をしてもらう。
これって普段の生活でも同じよね。
私はパンが食べたいけど作れないからパンやからパンを買う。
家を建てたいけど自分で建てれないから大工さんに頼む。
こういう事よね。
SMも一緒だと思わない?
相互依存の結果、心理的安全性を求める事が、
サドマゾの良い所だなと思ってるの。
最近、彼に出会って「SMとは」と言う事を考えさせられるわ。
それを考えるのが楽しいし、展開した事を彼に話すのも楽しい。
と言う事で今回は「SMのお話しその1」でした。
Comments - 1
ななし 改め おちゃ~ぶり
明日果さん、こんにちは。
明日果さんの言ってること、一理あるね。
SMとDVは紙一重、違いは心。
その通りと言い切れるね。
究極違いは受け手側。遣り手側も度が過ぎれば命にも関わる。
鞭打ちや緊縛。時々ラブホとかで死亡記事出るけど、サドマゾの定規を当てると違うものも見えてくる。
SMの世界に魅せられた人たちと常人の違い、性的嗜好では片付けられない心理的傾向があるんじゃないかな。
薄手のシャツで下着を透けさせて街中を歩く。
常人では「何してるんだ」って思うだろう。SMに魅せられてると、その行為で性的な高揚感を得ている。
もちろん最初からは高揚感を得られない。何度か繰り返して馴染むことで小さな高揚感を感じ取れて、その良さをどんどん追い求めて繰り返す。更に違う感覚も追って行く。
ある意味、性的高揚感=性的興奮は麻薬に似た『魔薬』なのかも。